油堀川跡(油堀川公園)|何があった場所か
元禄12年(1699)の開削といわれ、隅田川から木場へ通じた深川の堀川の跡。沿岸の油問屋が油置場としたことにちなむ名とされる。埋め立て後は首都高速9号深川線の高架下となり、跡地の一部が油堀川公園として残る。

時のながれ
- 元禄12年(1699) — 開削といわれる。大川(隅田川)から木場へ通じ、深川の舟運を支えた。
- 文政期(1818-1830) — 「文政町方書上」に、堀に面した一色町を油問屋組合が油置場としたことが名の由来とする記述がある。
- 昭和期 — 木場の移転や道路建設に伴い埋め立てられたとされる(埋立年は今回確認できた公的資料には明記なし)。
- 昭和55年(1980) — 跡地の上に建設された首都高速9号深川線が開通。
- 昭和59年(1984) — 「油堀跡」が江東区の登録史跡となる(所在地は木場3-19〜佐賀2-1ほか)。
編集部の調査メモ
このページを作るにあたって、編集部が何を確認したか、このページでどう扱ったかを記録しています。
資料で確認できたこと
- 江東区の公式ページで、区の登録史跡であること(登録は1984年3月26日)と所在地を確認した。日本歴史地名大系で、開削が「元禄一二年(一六九九)といわれる」こと、隅田川から木場までの流路、油問屋に由来するという説を確認した。
そのため、このページではこうしています
- 座標は油堀川公園(門前仲町一丁目、首都高深川線沿い)に置いている。
現地確認: 未実施
❓まだ分かっていないこと
この場所には、資料ではまだ確認できていない事柄がある。
- 埋立の年を昭和50年(1975年)とする記述があるが、公的な資料では確認できていない。
参考・出典
- 油堀跡(区登録史跡)
江東区 - 油堀(日本歴史地名大系)
コトバンク - 江戸の掘割と現代のカフェ(機関誌『水の文化』57号)
ミツカン水の文化センター - 首都高速9号深川線
Wikipedia(補助資料)
近くの痕跡
- 富岡八幡宮と永代島(深川埋立の起点)(地の痕跡・約436m)
- 「越中島」の地名由来(榊原越中守の別邸があった寄洲)(地の痕跡・約721m)
- 波除碑(寛政の高潮が定めた「住んではいけない」境界)(水の痕跡・約843m)
- 小名木川(塩の道・万年橋)(水の痕跡・約1.1km)