富岡八幡宮と永代島(深川埋立の起点)|何があった場所か
寛永4年(1627)、砂州「永代島」に御神託により創建されたと伝わる八幡宮。周辺の砂州一帯の埋立が進んで社地と氏子の居住地が開かれたとされ、深川の埋立史を物語る起点の一つとされている。

時のながれ
- 寛永4年(1627) — 葦の生い茂る砂州「永代島」に御神託により八幡宮が創建されたと伝わる(再興・再建と記す資料もある)。
- 江戸時代前期 — 周辺の砂州一帯の埋立が進み、社地と氏子の居住地あわせて約6万坪余が開かれたとされる。
- 江戸時代 — 「深川の八幡様」として親しまれ、門前に深川の市街が発展していったとされる。
編集部の調査メモ
このページを作るにあたって、編集部が何を確認したか、このページでどう扱ったかを記録しています。
資料で確認できたこと
- 江東区の公式で「寛永4年(1627年)、当時永代島と呼ばれていた現在地に御神託により創建」「周辺の砂州一帯を埋め立て、社地と氏子の居住地を開き、総じて六万五百八坪の社有地を得た」ことを確認した。
そのため、このページではこうしています
- 座標は社殿である。
現地確認: 未実施
❓まだ分かっていないこと
この場所には、資料ではまだ確認できていない事柄がある。
- 辞典によっては、この年を「創建」ではなく「再興」「再建」と記すものもある。同じ出来事を指しているのかは確認できていない。
参考・出典
- 富岡八幡宮(観光スポット)
江東区 - 富岡八幡宮とは? 意味や使い方
コトバンク(日本歴史地名大系・日本大百科全書ほか) - 富岡八幡宮
Wikipedia(補助資料)
近くの痕跡
- 油堀川跡(油堀川公園)(水の痕跡・約436m)
- 波除碑(寛政の高潮が定めた「住んではいけない」境界)(水の痕跡・約439m)
- 「越中島」の地名由来(榊原越中守の別邸があった寄洲)(地の痕跡・約805m)
- 「木場」の地名由来(地の痕跡・約969m)
⛩ この土地の福跡
同じ土地の、受け継がれてきた側の顔だ。
- 富岡八幡宮(江戸最大の八幡様)埋立の起点となった社を、いまの信仰の側から見たページ。