波除碑(寛政の高潮が定めた「住んではいけない」境界)|何があった場所か

寛政3年(1791)の高潮の後、幕府は深川洲崎の海沿い5467坪余を買い上げて空地とし、家を建てることを禁じたと伝わる。その空地の両端に目印として建てられた波除碑2基が、今も約500m離れて現存する。

時のながれ
- 寛政3年(1791) — 9月3日から降り始めた大雨が翌4日午前の満潮時に暴風雨となり、深川洲崎一帯に高潮が来襲。家屋が流され、多数の死者・行方不明者が出たと記録される。
- 寛政3年以後 — 幕府が海沿いの土地5467坪余を買い上げて空地とし、家を建てることを禁じたと伝わる。
- 寛政6年(1794) — 空地の両端(現在の洲崎神社境内と平久橋西詰)に波除碑が建てられ、居住禁止区域の目印とされた。
- 昭和17年(1942) — 東京都の文化財に指定される(1981年に種別変更、現在は都指定有形文化財・歴史資料)。震災・戦災で碑は大きく破損した。
- 平成26年度(2014) — 洲崎神社碑の修復が行われ、鉄筋とモルタルを除去して石碑本来の姿に戻す作業が実施された。
編集部の調査メモ
このページを作るにあたって、編集部が何を確認したか、このページでどう扱ったかを記録しています。
資料で確認できたこと
- 江東区の公式の有形文化財一覧と、区が発行する『下町文化』で確認した。2基は平久橋の西詰と洲崎神社の境内にあり、約500m離れている。昭和17年(1942年)に都の指定を受け、1981年の種別変更を経て、現在は東京都指定有形文化財(歴史資料)である。
- 碑は砂岩製で、震災と戦災によって大きく破損している。上部の約3分の2が欠けており、碑文を読むことは難しい。洲崎神社の碑は平成26年度に修復された。
そのため、このページではこうしています
- 座標は平久橋西詰の碑に置いている。
現地確認: 未実施
参考・出典
- 有形文化財(歴史資料)一覧(波除碑 2基掲載)
江東区 - 下町文化 No.270「洲崎の風景と波除碑/二つの波除碑」
江東区地域振興部文化観光課文化財係 - 波除碑
Wikipedia(補助資料)
近くの痕跡
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