大横川の埋立区間(大横川親水公園)|何があった場所か
明暦の大火後の復興で幕府が開削したとされる大横川の墨田区内区間が、地盤沈下地帯の治水を背景に昭和56年から埋立整備され、平成5年に延長約1.8kmの大横川親水公園として開園したとされる。

時のながれ
- 1657年(明暦3)以降 — 明暦の大火後の復興として、幕府が市街地開発の際に開削した河川とされる。
- 昭和期 — 周辺の地下水汲み上げによる地盤沈下でゼロメートル地帯となり、治水上の課題を抱えたとされる。
- 1981年(昭和56) — 大横川の一部を埋め立て、水と緑に親しめる空間とする整備に着手。
- 1993年(平成5) — 4月1日、業平橋北側から竪川合流部までの約1.8kmが大横川親水公園として開園。
編集部の調査メモ
このページを作るにあたって、編集部が何を確認したか、このページでどう扱ったかを記録しています。
資料で確認できたこと
- 墨田区の公式資料で、沿革(1657年の明暦の大火後の開削、昭和56年からの整備、平成5年の開園、延長およそ1.8km)を確認した。
そのため、このページではこうしています
- 公園の面積は、区のページが66,813平方m、区の別資料が63,500平方mと異なる。同じ発行元の資料どうしの差で、更新時期の違いによる可能性がある。
現地確認: 未実施
❓まだ分かっていないこと
この場所には、資料ではまだ確認できていない事柄がある。
- 埋立の理由(地盤沈下・水位低下)については、区の資料以外による記述である。
参考・出典
- 大横川親水公園
墨田区 - 大横川親水公園の再整備に係るサウンディング型市場調査 事業概要資料
墨田区 - 大横川親水公園 - Wikipedia
Wikipedia(補助)
近くの痕跡
- 「錦糸町」の地名由来(消えた錦糸堀)(水の痕跡・約546m)
- 東京大空襲の被害集中地域(旧本所・深川一帯)(戦の痕跡・約705m)
- 「業平」の地名と在原業平の東下り伝承(業平橋)(地の痕跡・約847m)
- 本所七不思議(置いてけ堀)(噂の痕跡・約1.0km)