「業平」の地名と在原業平の東下り伝承(業平橋)|何があった場所か
東京スカイツリーのお膝元「業平」の町名は、伊勢物語の歌人・在原業平がこの地で没したと伝わる業平塚と、それを祀った業平天神社に由来するとされる。スカイツリー駅も2012年までは「業平橋駅」だった。

時のながれ
- 平安時代 — 伊勢物語の「東下り」で在原業平が隅田川のほとりで都鳥の歌を詠んだとされる。この地で業平が没したと伝わる業平塚の伝承も生まれ、のちに業平天神社が祀られたと伝わる。
- 江戸時代(寛文2年・1662年) — 南蔵院の近くに業平橋が架けられ、境内の業平天神にちなんで命名されたと伝わる。『新編武蔵風土記稿』にも「業平天神の社辺なるを以て其名とす」と記されるという。
- 明治 — 1872年に小梅業平町、1891年に業平橋東詰の中ノ郷業平町が成立し、橋と社の名が町名として定着した。
- 大正〜昭和 — 関東大震災後、南蔵院は葛飾区へ移転し業平天神社は現存しない。1930年に現在の業平橋が架設され、1967年の住居表示で業平一〜五丁目が成立した。
- 平成 — 2012年、東武伊勢崎線の「業平橋駅」がとうきょうスカイツリー駅に改称され、約80年続いた駅名から業平の名が離れた。
編集部の調査メモ
このページを作るにあたって、編集部が何を確認したか、このページでどう扱ったかを記録しています。
資料で確認できたこと
- 商店街振興組合の解説と、『新編武蔵風土記稿』を引用した記述で、業平天神社(南蔵院の境内にあり現存しない)から業平橋(寛文2年=1662年の創架)、そして町名(1872年の小梅業平町、1967年の住居表示で業平一〜五丁目)へという系譜を確認した。
- 東武の駅は1931年から2012年まで「業平橋駅」を名乗り、その後とうきょうスカイツリー駅へ改称された。
そのため、このページではこうしています
- 近くの「言問」も同じ業平の歌に由来するとされるが、こちらにも諸説がある。
現地確認: 未実施
❓まだ分かっていないこと
この場所には、資料ではまだ確認できていない事柄がある。
- 業平塚の話そのものは伝承の域を出ない。
- 墨田区の公式サイトの町名由来ページと、南蔵院の公式サイトの本文は未確認で、公式の一次資料での裏取りが残っている。
参考・出典
- 押上・業平(町のおこり)
おしなり商店街振興組合 - 業平橋 (墨田区)
Wikipedia(補助資料) - 言問橋
Wikipedia(補助資料)
近くの痕跡
- 「押上」の地名由来(潮が押し上げた土地)(地の痕跡・約754m)
- 「向島」の地名由来(川向こうの「島」だった土地)(地の痕跡・約814m)
- 言問橋と東京大空襲(戦の痕跡・約837m)
- 大横川の埋立区間(大横川親水公園)(水の痕跡・約847m)