言問橋と東京大空襲|何があった場所か
1945年3月10日の東京大空襲で、言問橋周辺は避難の人々が集中し多くの犠牲者が出たと記録されている。西詰の隅田公園には追悼碑が建ち、改修時に切り出された旧橋の縁石が静かに保存されている。

時のながれ
- 1928年(昭和3) — 関東大震災後の復興事業により言問橋が竣工したと記録されている。
- 1945年(昭和20)3月10日 — 東京大空襲。橋上で避難の人々が行き交うなか火災に巻き込まれ、多くの犠牲者が出たと記録されている。
- 1986年(昭和61)3月 — 言問橋西詰の隅田公園に東京大空襲戦災犠牲者追悼碑が建立された。
- 1992年(平成4) — 橋の改修工事の際、欄干基部の縁石が切り出され、追悼碑の傍らに保存された。
編集部の調査メモ
このページを作るにあたって、編集部が何を確認したか、このページでどう扱ったかを記録しています。
資料で確認できたこと
- 総務省の一般戦災死没者追悼サイトで、追悼碑(台東区浅草七丁目・隅田公園内、昭和61年3月建立)を確認した。
そのため、このページではこうしています
- 座標は言問橋西詰の隅田公園内で、碑の所在地の住所から割り出したものである。
現地確認: 未実施
❓まだ分かっていないこと
この場所には、資料ではまだ確認できていない事柄がある。
- 1992年の改修時に欄干基部の縁石が切り出され、碑のそばに保存されているという点は、区の公式ページでは確認できず、補助的な資料によっている。
参考・出典
- 一般戦災死没者の追悼 東京大空襲戦災犠牲者追悼碑
総務省 - 言問橋
Wikipedia(補助資料)
近くの痕跡
- 待乳山(浅草の下町平地に残る天然の微高地と待乳山聖天)(地の痕跡・約327m)
- 山谷堀跡(山谷堀公園)(水の痕跡・約394m)
- 「浅草」の地名由来(地の痕跡・約593m)
- 「向島」の地名由来(川向こうの「島」だった土地)(地の痕跡・約695m)