待乳山(浅草の下町平地に残る天然の微高地)|何があった場所か
浅草の平坦な下町に残る標高約10mの天然の小丘。推古天皇3年(595年)に一夜で盛り上がり金龍が守護したと伝わる。江戸期には日本堤の築造に山の土が使われたとされ、埋め立て前には入船の目印でもあったという。

近くの痕跡
- 山谷堀跡(山谷堀公園)(水の痕跡・約85m)
- 言問橋と東京大空襲(戦の痕跡・約327m)
- 「向島」の地名由来(川向こうの「島」だった土地)(地の痕跡・約599m)
- 「浅草」の地名由来(地の痕跡・約811m)
時のながれ
- 飛鳥時代 — 推古天皇3年(595年)9月、一夜のうちに盛り上がった霊山で、金龍が舞い降り山を守護したと伝わる。601年の旱魃の際に大聖歓喜天が現れ人々を救い、祀られたのが待乳山聖天の草創とされる。
- 江戸時代 — 埋め立て前には入船の目印でもあったといい、日本堤の築造には待乳山の土が使われたと伝わる。景勝地として文人墨客に愛され、広重『名所江戸百景 真乳山山谷堀夜景』など多くの錦絵に描かれた。
- 現代 — 標高約10mの丘として現存し、山上に待乳山聖天(本龍院)が建つ。境内には広重の絵に描かれた築地塀が残るとされ、「東京で一番低い山」とも紹介される。
編集部の調査メモ
資料で確認できたこと
- 浅草寺の公式で、595年の出現伝承、標高およそ10m、広重の絵に描かれた築地塀、1月7日の大根まつりを確認した。
- 国立国会図書館の電子展示会で、埋め立て前は入船の目印だったこと、日本堤の築造にこの山の土が使われたこと、広重『名所江戸百景 真乳山山谷堀夜景』ほか錦絵に描かれたことを確認した。
現地確認: 未実施
⛩ この土地の福跡
- 今戸神社同じ今戸の地に鎮座する旧今戸八幡。
- 待乳山聖天(本龍院)同じ丘の上の寺を、聖天信仰の側から見たページ。
参考・出典
3件出典に基づいて掲載している
- 待乳山聖天(浅草寺 諸堂案内)
浅草寺 - Matsuchiyama Shodengu Temple / Imado-bashi Bridge(国立国会図書館「錦絵と写真でめぐる日本の名所」英語版)
国立国会図書館 - 待乳山聖天
Wikipedia(補助資料)
訂正履歴
- :説明文の「隅田川を上る舟の目印でもあったという」を、出典の国立国会図書館の電子展示会の書き方どおり「埋め立て前には入船の目印でもあったという」に改めた。見出しの「と待乳山聖天」を外し、土地の履歴の見出しに改めた(寺の信仰は福跡マップのページで扱う)。
- :時のながれの江戸時代の項の「隅田川に入る舟の目印とされ」を、説明文と同じく、出典の国立国会図書館の電子展示会の書き方どおり「埋め立て前には入船の目印でもあったといい」に改めた。
- :出典にしていた台東区の公式観光サイトが閲覧できなくなったため出典から外し、大根まつりは浅草寺の公式で確かめたことを調査メモに書いた(浅草名所七福神は確かめ直せていないので外した)。国立国会図書館のページの表題を、飛び先のページの実際の表題に合わせた。
この場所について
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