山谷堀跡(山谷堀公園)|何があった場所か
江戸初期に開削されたとされる水路・山谷堀の跡。三ノ輪方面から隅田川へ通じ、猪牙舟による吉原への舟運路として知られたと伝わる。昭和50年(1975)頃までに埋め立てられ、現在は全長約700mの山谷堀公園として整備されている。

時のながれ
- 江戸初期 — 隅田川の氾濫対策と関連して開削されたとされる(正確な年代は不明。元和6年〈1621〉の日本堤築造と同時期とする説がある)。
- 江戸時代 — 新吉原への舟運路として猪牙舟が行き来し、舟で通うことが粋とされたと伝わる。
- 昭和50年(1975)頃 — 全区間が埋め立てられ暗渠化。
- 現代 — 約700mの区立山谷堀公園として整備され、桜の名所・散策路となっている。
編集部の調査メモ
このページを作るにあたって、編集部が何を確認したか、このページでどう扱ったかを記録しています。
資料で確認できたこと
- 埋立の時期は、台東区の公式観光サイトで「昭和50年頃から埋め立てられ暗渠化」と確認した。
そのため、このページではこうしています
- 座標は台東区の公式ページにある「浅草七丁目8番付近」で、公園は隅田川側から日本堤方面へ細長くおよそ700m続く。
現地確認: 未実施
❓まだ分かっていないこと
この場所には、資料ではまだ確認できていない事柄がある。
- 開削の年代は正確には分かっていない。日本堤が築かれた元和6年(1621年)前後とする説がある。
参考・出典
- 山谷堀公園|体験・観光スポット
台東区公式観光情報サイト - 山谷堀公園付近(東京スカイツリーの見えるスポット)
台東区 - 山谷堀 - Wikipedia
Wikipedia(補助資料)
近くの痕跡
- 待乳山(浅草の下町平地に残る天然の微高地と待乳山聖天)(地の痕跡・約85m)
- 言問橋と東京大空襲(戦の痕跡・約394m)
- 「向島」の地名由来(川向こうの「島」だった土地)(地の痕跡・約657m)
- 「浅草」の地名由来(地の痕跡・約827m)
⛩ この土地の福跡
同じ土地の、受け継がれてきた側の顔だ。
- 今戸神社堀のすぐそば、今戸に鎮座する旧今戸八幡。