「向島」の地名由来(川向こうの「島」だった土地)|何があった場所か
浅草側から隅田川越しに眺めると島のように見えたことが地名の起こりとされる。一説には、将軍家の鷹狩休息所「隅田川御殿」から見えた中洲を指した呼び名が、やがて川向こう一帯へ広がったとも伝わる。

時のながれ
- 江戸初期(寛永20年・1643年頃) — 木母寺境内に将軍家の鷹狩休息所「隅田川御殿」が置かれる。御殿から見えた中洲を「向島」と呼んだのが起源とする説が伝わる。
- 江戸時代 — 浅草側から隅田川を隔てて島のように見えたことから「向島」と呼ばれるようになったとされ、墨堤周辺を中心とした景勝地として庶民に親しまれた。
- 現代 — 墨田区の町名「向島」として名が残り、隅田川七福神めぐりなど江戸以来の文化の面影を伝えている。
編集部の調査メモ
このページを作るにあたって、編集部が何を確認したかを記録しています。
資料で確認できたこと
- 由来の本説として「浅草側から隅田川を隔てて島のように見えるため」という説明を、辞典類で確認した。
現地確認: 未実施
❓まだ分かっていないこと
この場所には、資料ではまだ確認できていない事柄がある。
- 墨田区の公式ページでは、江戸時代からの呼称であることと景勝地であることは確認できたが、由来そのものについての記述は見つけられなかった。
- 別の説として、寛永20年(1643年)頃に木母寺の境内へ置かれた将軍家の鷹狩休息所から見える中洲を「向島」と呼んだのが起源で、そこから範囲が広がったとするものがある。特定の中洲の呼び名が対岸一帯へ広がったという成立段階の違いであれば、二つの説は両立する余地がある。
参考・出典
- 向島(ムコウジマ)とは? 意味や使い方
コトバンク(改訂新版世界大百科事典・日本大百科全書・精選版日本国語大辞典) - 年間特別企画事業「シリーズ探訪・向島」
墨田区 - 向島 (墨田区)
Wikipedia(補助資料)
近くの痕跡
- 飛木稲荷神社の「焼けイチョウ」(戦の痕跡・約582m)
- 待乳山(浅草の下町平地に残る天然の微高地と待乳山聖天)(地の痕跡・約599m)
- 「押上」の地名由来(潮が押し上げた土地)(地の痕跡・約624m)
- 山谷堀跡(山谷堀公園)(水の痕跡・約657m)