東京大空襲の被害集中地域(旧本所・深川一帯)|何があった場所か
1945年3月10日未明の東京大空襲では、旧本所区・深川区など下町一帯が焼失し、約10万人が犠牲になったとされる。犠牲者の遺骨は東京都慰霊堂に納められ、毎年3月10日に慰霊の法要が営まれている。

時のながれ
- 昭和20年(1945)3月10日 — 未明、約300機のB29が約1665トンの焼夷弾を投下。本所区・深川区・城東区の全域などが焼失し、罹災者約100万人、死者は約10万人とされる。
- 昭和23〜26年(1948-1951) — 空襲犠牲者の身元不明の遺骨が震災記念堂に合祀され、昭和26年「東京都慰霊堂」と改称。
- 現在 — 毎年3月10日に東京都慰霊堂で慰霊大法要が営まれ、都の平和の日式典も行われている。
編集部の調査メモ
このページを作るにあたって、編集部が何を確認したか、このページでどう扱ったかを記録しています。
資料で確認できたこと
- 東京都慰霊堂(横網町公園)は公式に整備された追悼施設で、震災と空襲の犠牲者およそ16万3千体の遺骨が安置されている。
そのため、このページではこうしています
- 広域の戦災のため、ピンは旧本所区(現在の墨田区南部)一帯の代表点である。
現地確認: 未実施
❓まだ分かっていないこと
この場所には、資料ではまだ確認できていない事柄がある。
- 死者数には資料によって幅がある。東京大空襲・戦災資料センターは「9万5000人超」、墨田区は「約10万人以上とされるが実態には不明な点が残る」と記す。墨田区自身が不明な点を認めており、一つの数字には確定できない。
参考・出典
- 東京の空襲被害について
東京大空襲・戦災資料センター - 墨田区における戦災の状況(東京都)
総務省 - 特別展「東京空襲60年3月10日の記憶」
墨田区 - 慰霊堂の歴史(東京都慰霊堂)
公益財団法人東京都慰霊協会(都立横網町公園)
近くの痕跡
- 「錦糸町」の地名由来(消えた錦糸堀)(水の痕跡・約183m)
- 本所七不思議(置いてけ堀)(噂の痕跡・約579m)
- 大横川の埋立区間(大横川親水公園)(水の痕跡・約705m)
- 竪川(本所の運河・首都高下の川跡)(水の痕跡・約721m)