「錦糸町」の地名由来(消えた錦糸堀)|何があった場所か
繁華街の名は、埋め立てられて今はない堀「錦糸堀」に由来するとされる。堀名は「岸堀」が転じたなど諸説ある。錦糸堀は本所七不思議「置いてけ堀」の舞台の候補地の一つとも伝えられている。

時のながれ
- 江戸時代 — 本所の堀のひとつ「岸堀」が「錦糸堀」と呼ばれるようになり、のちの地名のもとになったとされる。
- 江戸時代 — 錦糸堀は本所七不思議「置いてけ堀」の舞台の候補地の一つと伝えられる。
- 近代 — 堀は埋め立てられ、跡は現在の北斎通り(錦糸一〜三丁目)周辺にあたるとされる。
- 平成7年(1995) — 錦糸堀公園に、置いてけ堀の伝承にちなむ河童像が寄付により設置される。
編集部の調査メモ
このページを作るにあたって、編集部が何を確認したか、このページでどう扱ったかを記録しています。
資料で確認できたこと
- 辞典類で「岸堀という堀の名が錦糸堀の名にかわり地名となった」ことを確認した。墨田区の公式で、堀のあった場所が現在の北斎通りのうち錦糸一丁目から三丁目にあたることも確認している。
そのため、このページではこうしています
- 堀は線状に伸びていて一点に絞れないため、ピンは区が示す堀の位置の中央付近に推定で置いている。
- 堀の名を継ぐ錦糸堀公園は駅の南側にあり、この地点とは離れている。
現地確認: 未実施
❓まだ分かっていないこと
この場所には、資料ではまだ確認できていない事柄がある。
- 「錦糸」の字が当てられた経緯を説明する資料には到達していない。
参考・出典
- 錦糸堀公園(江東橋四丁目17番1号)
墨田区 - 錦糸町(きんしちょう)とは? 意味や使い方
コトバンク(ブリタニカ国際大百科事典・日本大百科全書ほか)
近くの痕跡
- 東京大空襲の被害集中地域(旧本所・深川一帯)(戦の痕跡・約183m)
- 大横川の埋立区間(大横川親水公園)(水の痕跡・約546m)
- 本所七不思議(置いてけ堀)(噂の痕跡・約573m)
- 竪川(本所の運河・首都高下の川跡)(水の痕跡・約886m)