猿江貯木場跡(猿江恩賜公園)と「猿江」の地名|何があった場所か
広大な都立公園の前身は、江戸幕府の御用材木蔵と明治以降の猿江貯木場。地名の「猿江」は康平年間、源義家の家臣・猿藤太(さるのとうた)がこの入江に眠るという約千年前の伝承に由来すると伝わる。

時のながれ
- 康平年間(1058-65) — 源義家の奥州遠征の頃、家臣・猿藤太の名入りの鎧がこの地の入江に打ち寄せられた(江東区公式)、あるいは猿藤太がこの入江で力尽き漁師が葬った(猿江神社公式)と伝わり、「猿」と「江」を結んだ地名・社名の由来とされる。
- 享保18年(1733) — 江戸幕府公認の貯木場(御材木蔵)として開かれたとされる。
- 明治以降 — 宮内省の猿江御料地となり、貯木場(猿江貯木場)として使われた。
- 大正13年(1924) — 皇太子(後の昭和天皇)の成婚を記念して南側部分が東京市に下賜される。
- 昭和7年(1932) — 南園が猿江恩賜公園として開園。園内に開設の由来を刻んだ由来碑(上部に猿のレリーフ)が建つ。
- 昭和47年(1972) — 猿江貯木場が廃止され、東京都が跡地を買収したとされる。
- 昭和58年(1983) — 北園の完成により全園開園し、現在の姿になる。
編集部の調査メモ
このページを作るにあたって、編集部が何を確認したかを記録しています。
資料で確認できたこと
- 公園の来歴は江東区の公式「猿江恩賜公園由来碑」のページで確認した。幕府の材木蔵から宮内省の猿江御料地となり、大正13年(1924年)の皇太子成婚を記念して東京市に下賜され、昭和7年(1932年)に南園が開園、昭和58年(1983年)に全園が開園した。
現地確認: 未実施
❓まだ分かっていないこと
この場所には、資料ではまだ確認できていない事柄がある。
- 享保18年(1733年)の幕府公認の貯木場開設と、1972年の貯木場廃止は補助的な資料でのみ確認できた。新木場への機能移転についての直接の記述は、公式資料で確認できていない。
- 地名の由来として伝わる話は二系統ある。江東区の公式は「康平年間(1058〜65年)、猿藤太の名が入った鎧がこの地の入江に打ち寄せられた」とし、猿江神社の公式は「猿藤太が入江で力尽き、漁師が手厚く葬った」とする。
参考・出典
- 江東区の地名由来
江東区 - 猿江恩賜公園由来碑
江東区 - 猿江恩賜公園|公園へ行こう!
東京都公園協会 - 猿江神社 御由緒と境内社
猿江神社
近くの痕跡
- 本所七不思議(置いてけ堀)(噂の痕跡・約502m)
- 東京大空襲の被害集中地域(旧本所・深川一帯)(戦の痕跡・約954m)
- 「錦糸町」の地名由来(消えた錦糸堀)(水の痕跡・約1.0km)
- 東京大空襲・戦災資料センター(戦の痕跡・約1.1km)