仙台堀川の埋立区間(仙台堀川公園)|何があった場所か
江戸期に仙台藩の蔵屋敷へ米などを運んだことから「仙台堀」と呼ばれたとされる運河のうち、東側区間が地盤沈下による水害対策で埋め立てられ、延長約3.7kmの都内最大級の親水公園になったとされる。

時のながれ
- 江戸期 — 堀の北岸(現・清澄付近)に仙台藩の蔵屋敷が置かれ、仙台からの米などを運び入れたことから「仙台堀」と呼ばれたとされる。
- 1965年(昭和40) — 河川法改正に伴い「仙台堀川」の名称になったとされる。
- 昭和期 — 地下水汲み上げによる地盤沈下でゼロメートル地帯となり、高潮・水害の危険が高まったとされる。
- 1978年(昭和53) — 東側区間で水路幅を約7分の1に縮小し、埋立部分を公園化する工事に着手。
- 1986年(昭和61) — 3月に完成し、江東区初の親水公園・仙台堀川公園(延長約3.7km)となった。
編集部の調査メモ
このページを作るにあたって、編集部が何を確認したか、このページでどう扱ったかを記録しています。
資料で確認できたこと
- 江東区の公式で、1978年の着工、水路の幅を約7分の1に縮小したこと、1986年3月の完成(区で初めての親水公園)を確認した。西側の区間(大横川から清澄排水機場までのおよそ1.94km)は、現在も河川として残っている。
そのため、このページではこうしています
- 1980年に一部が開園したという記述もあるが、これは全体の完成(1986年3月)とは別の段階を指しており、同じ出来事についての記述の食い違いではない。
- ピンは公園の代表点である。
現地確認: 未実施
参考・出典
- 親水公園について
江東区 - 仙台堀川公園
江東区 - 仙台堀川(江東区深川)
仙台市 - 仙台堀川|荒川水系
東京都建設局
近くの痕跡
- 「砂町」の地名由来(海を拓いた砂村新田)(地の痕跡・約701m)
- 東京大空襲・戦災資料センター(戦の痕跡・約984m)
- 「木場」の地名由来(地の痕跡・約1.9km)
- 猿江貯木場跡(猿江恩賜公園)と「猿江」の地名(地の痕跡・約2.0km)