山王神社 一本柱鳥居(二の鳥居)|何があった場所か
1945年8月9日の原爆で片方の柱を失い、残った半分だけで今も参道に立つ鳥居。爆心地から南東約800m。倒れた柱はすぐそばに保存され、境内入口には被爆から蘇った大クス2本が茂る。2016年に国史跡「長崎原爆遺跡」の一つに指定された。

時のながれ
- 寛永15年(1638) — 山王権現社が創立される(神社由緒)。明治17年に皇大神宮と合併し「縣社浦上皇大神宮」となる。
- 1924年(大正13)10月 — 参道の延長に伴い二の鳥居が設置される(長崎原爆資料館)。
- 1945年(昭和20)8月9日 — 原爆の爆風で北側の柱が倒壊し、南側の笠木は東へ13度回転したまま片柱で残る。熱線で爆心地側の表面が剥離し刻字が読めなくなった。境内のクスノキ2本も主幹を折られ一時は枯木同然になったが、のちに樹勢を回復した。
- 1962年(昭和37) — 原爆に耐えた一の鳥居が交通事故で倒壊。当時のままの姿で立つのは二の鳥居だけになる(神社公式)。
- 1969年(昭和44)2月15日 — 「山王神社の大クス」が長崎市の天然記念物に指定される。
- 2016年(平成28)10月3日 — 爆心地・旧城山国民学校校舎・浦上天主堂旧鐘楼・旧長崎医科大学門柱とともに国史跡「長崎原爆遺跡」に指定される。
- 2021年(令和3) — 境内の発掘調査で、倒壊した四の鳥居の柱や笠木の一部が出土したと報じられる(長崎新聞)。
編集部の調査メモ
このページを作るにあたって、編集部が何を確認したか、このページでどう扱ったかを記録しています。
資料で確認できたこと
- 「片足鳥居」という通称は観光案内サイトで確認した。公式の資料は「一本柱鳥居」「二の鳥居」と記している。
そのため、このページではこうしています
- 「奇跡」という語を用いているのは神社の公式であり、市や資料館の説明文にこの語はない。
現地確認: 未実施
❓まだ分かっていないこと
この場所には、資料ではまだ確認できていない事柄がある。
- クスノキに新芽が出た時期は、原爆資料館とクスノキプロジェクトが「被爆から約2か月後」、神社の由緒が「2年程度後」とし、大きく異なる。
参考・出典
- 被爆遺構めぐり(長崎原爆遺跡)
ながさきの平和(長崎市公式) - 山王神社二の鳥居(一本柱鳥居)|被爆遺構コースマップ
長崎原爆資料館 - 山王神社の大クス(市指定天然記念物)
長崎市(公式) - 被爆クスノキと一本柱鳥居
山王神社(公式) - 一本柱鳥居(山王神社)
長崎市公式観光サイト - 被爆クスノキ(山王神社)
長崎クスノキプロジェクト
この痕跡を掘り下げた記事
近くの痕跡
- 旧大川村中心部の水没集落(早明浦ダム・さめうら湖底)(水の痕跡・約355.9km)
- 旧奥津町苫田地区の水没集落(苫田ダム・奥津湖底)(水の痕跡・約459.5km)
- 明石藩舞子台場跡(海峡を挟み撃ちにするはずだった砲台)(戦の痕跡・約526.2km)
- 一ノ谷合戦の古戦場と戦の濱碑(鵯越の逆落としはどこか)(戦の痕跡・約532.8km)