旧大川村中心部の水没集落(早明浦ダム・さめうら湖底)|何があった場所か
反対運動の象徴として、水没すると分かっている土地にあえて建てられた村役場。早明浦ダム(1978年竣工)の建設で高知県大川村の中心部は水没し、387世帯が移転した。渇水で水位が大きく下がった年にだけ、その庁舎が湖面に姿を見せる。

時のながれ
- 1965年(昭和40) — 吉野川水系の早明浦ダムが着工する。村では建設反対運動が展開され、反対の立て札は600本にのぼったと伝わる。
- 1960〜70年代 — 10年以上にわたる交渉の末に補償・移転が進み、村の中心部の387世帯が移転する。
- 1978年(昭和53) — 早明浦ダムが竣工し、旧役場庁舎を含む旧集落一帯はさめうら湖の湖底に。
- 現在 — 渇水で水位が大きく下がると旧役場庁舎が湖面に現れ、ダムの貯水状況を伝える報道で取り上げられている。
編集部の調査メモ
このページを作るにあたって、編集部が何を確認したか、このページでどう扱ったかを記録しています。
資料で確認できたこと
- 水没387世帯・着工1965年・竣工1978年はダム便覧で確認した。旧役場庁舎がダム建設の決定後、反対運動のなかであえて水没予定地に建てられた経緯、10年以上の交渉を経ての移転、人口の減少(最盛期の4,000人超から1985年に750人。白滝鉱山の閉山も重なる)は、村の公社の公式情報で確認した。
そのため、このページではこうしています
- 旧役場庁舎が水没予定地にあえて建てられた経緯は、村の公社の公式記録に残っている。
- 渇水のときに旧役場が姿を現すことは報道もある事実だが、見学の際は公開されている区域から確認し、湖岸の閉鎖された通路や立入禁止区域には入らず、現地の案内に従ってほしい。
- ピンは旧村役場のあった地点(現在は湖中)に推定で置いている。
現地確認: 未実施
参考・出典
- 早明浦(元)ダム - ダム便覧
一般財団法人日本ダム協会 - 水没した大川村旧役場庁舎
でぃぐ!大川村(一般社団法人大川村ふるさとむら公社)
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