旧奥津町苫田地区の水没集落(苫田ダム・奥津湖底)|何があった場所か
吉井川上流の苫田ダム(2005年3月完成)の建設に伴い、旧奥津町中心部の苫田地区(久田下原など)の470戸・504世帯が移転した。1957年に計画が報道で判明してから完成まで約半世紀を要し、ダム湖は公募により「奥津湖」と命名された。

時のながれ
- 1953年(昭和28) — 岡山県が吉井川総合開発調査に着手(翌年建設省が引き継ぎ)。
- 1957年(昭和32) — 新聞報道でダム建設計画が判明。旧苫田村の村議会・村民大会が反対を決議。
- 1959年(昭和34) — 苫田・羽出・奥津の三村合併で奥津町が発足。町是として「苫田ダム阻止」を掲げる。
- 1981年(昭和56) — 建設事業に着手。以後も賛否をめぐる長い議論が続いた。
- 2005年(平成17)3月 — 調査着手から約半世紀を経て苫田ダム完成。470戸・504世帯が移転し、ダム湖は公募で「奥津湖」と命名された。
- 2025年(令和7) — 湖畔の総合案内所「みずの郷奥津湖」ビジターセンターがリニューアルオープン。
編集部の調査メモ
このページを作るにあたって、編集部が何を確認したか、このページでどう扱ったかを記録しています。
資料で確認できたこと
- 移転は行政上の補償と協定に基づいて行われた。ダム建設をめぐって賛否の長い議論があったことは、公的資料と報道で確認できる。
そのため、このページではこうしています
- 湖畔の奥津湖総合案内所「みずの郷奥津湖」で、地域の歩みに触れることができる。国土交通省の苫田ダム管理所では堤体の見学案内も行われている。
- ピンは湖畔の案内所を代表点としており、水没した集落の位置そのものではない。
現地確認: 未実施
参考・出典
- 苫田ダム
岡山県(河川課) - ダム建設と立ち退き移転に揺るがされた地域社会と人の営み:岡山県鏡野町苫田ダムを事例として(2023)
北海道大学学術成果コレクションHUSCAP - ダム湖に沈んだまち…あれから約20年 岡山県北の「苫田ダム」の歴史を考える
OHK岡山放送 - 苫田ダム管理所
国土交通省中国地方整備局 - 奥津湖総合案内所「みずの郷奥津湖」ビジターセンター
岡山観光WEB(公式)
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