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旧和田岬灯台(和田岬から須磨へ動いた灯台)|何があった場所か

位置精度: 地点特定 / 最終確認日: 2026-09-05

須磨海浜公園の西寄り、砂浜を望む位置に六角形の赤い塔が立つ。神戸市の資料は、これをもと兵庫区の和田岬にあった灯台であると説明する。神戸市文化財課の解説資料によれば、慶応3年(1867)4月に江戸幕府がイギリスとの間で大坂約定を結び、関門海峡から大阪湾にかけて五か所の灯台を置くことが決まった。部埼・六連島・和田岬・江崎・友ヶ島の五基で、そのひとつが和田岬である。初代は明治3年(1870)1月に着工し、明治4年4月に竣工した。外面を白く塗った八角形の木造三層で、設計監督はイギリス人技師リチャード・ヘンリー・ブラントンが担ったと同資料は説明する。木造は耐久性に乏しく火災の危険もあるため、明治17年(1884)3月に六角形鉄造三層へ建て替えられ、灯りは石油からガスに替わった。塔の入口には「明治五年一月二九日初点燈於舊臺 一七年三月一日再点燈於新臺」と刻んだ記念額が今も掛かる。最上部の灯籠には当時のレンズの一部が残り、その台座には、イギリスのチャンス兄弟商会が明治3年に製造したことを示す刻印が読めると神戸市は記す。塔が和田岬を離れたのは昭和38年(1963)10月である。神戸市は、岬の周辺が埋め立てられて東側に新しい灯台が設けられ、役目を終えたと説明する。解体はされず、西へおよそ5キロメートル離れた須磨海岸へ移された。移設後は「須磨の赤灯台」と呼ばれるが、和田岬にあったころは白い塔だったと神戸新聞は伝える。平成10年(1998)には国の登録有形文化財となった。現存最古の鉄造灯台という評価は文化庁と神戸市の資料に見える。一方、燈光会と土木学会関東支部新潟会は、明治28年(1895)点灯の姫埼灯台(新潟県佐渡市)を最古の鉄造灯台として挙げる。姫埼は建設時の場所で今も灯り続け、須磨の塔は灯を消して場所を移した。

旧和田岬灯台(和田岬から須磨へ動いた灯台)の位置を示す地図
この地点の地図(地理院タイルに地点を加筆)

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