宮ヶ瀬集落の水没地(宮ヶ瀬ダム・宮ヶ瀬湖底)|何があった場所か
三つの市町村にまたがって281戸が移転し、約4.6平方キロが水没した。宮ヶ瀬ダム(2000年完成)の建設によるもので、旧集落の跡は宮ヶ瀬湖の底にある。いま湖畔は宮ヶ瀬湖畔園地として整備され、年間を通じて人が訪れる場所になっている。

時のながれ
- 1969年(昭和44) — 宮ヶ瀬ダムの建設計画が発表される
- 1971年(昭和46) — ダム事業が始まり、以後、補償交渉と281戸の移転が進む(移転先は湖畔の代替地や厚木市宮の里など)
- 2000年(平成12)12月 — 宮ヶ瀬ダムが完成し、旧宮ヶ瀬集落一帯は宮ヶ瀬湖の湖底に
- 現在 — 湖畔に宮ヶ瀬湖畔園地が整備され、首都圏の水がめとして水道・治水を担っている
編集部の調査メモ
このページを作るにあたって、編集部が何を確認したか、このページでどう扱ったかを記録しています。
資料で確認できたこと
- 移転281戸・水没面積4.6平方kmは、国土交通省の相模川水系広域ダム管理事務所の公式で確認した。
そのため、このページではこうしています
- 水特法の関係資料にある300戸は計画時の値、281戸・1,136人は完成後の実績値で、集計の段階が異なる別々の値である。
- 2000年12月の竣工式、2001年3月の事業完了、2001年4月の本格運用開始は、それぞれ別の節目である。完成年の食い違いではない。
- 水没地は清川村宮ヶ瀬のほか旧津久井町・愛川町にもまたがるが、旧集落の中心があった清川村側を代表としている。ピンは湖面上の推定地点である。
現地確認: 未実施
参考・出典
- 宮ヶ瀬ダムとは
国土交通省 関東地方整備局 相模川水系広域ダム管理事務所 - 宮ヶ瀬ダム紹介
清川村(公式) - 宮ヶ瀬ダム - ダム便覧
一般財団法人日本ダム協会
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