平将門の首塚(将門塚)|何があった場所か
平将門の首を供養したと伝わる塚。天慶3年(940年)に討たれた将門の首が京から白光を放って飛び去り、武蔵国豊島郡柴崎——現在の大手町——に落ちたという伝承で知られる。昭和46年に東京都旧跡に指定され、超高層ビル街の一角で保存会により手厚く守られ、今も参拝が絶えない。

時のながれ
- 940年(天慶3) — 平将門が藤原秀郷・平貞盛らに討たれる。京で晒された首が白光を放って東方へ飛び去り、武蔵国豊島郡柴崎に落ちたと伝わる。土地の人々が首を洗い清め、塚を築いて供養したとされる
- 1303〜05年(嘉元年間) — 遊行二代・他阿真教上人が将門の霊を回向し、神田明神に配祀したと伝わる。この地は神田明神の旧地にあたる
- 1923年(大正12)以降 — 関東大震災後、大蔵省仮庁舎建設に伴い塚の一部が取り崩される。その後関係者の不幸が相次いだと語られ、慰霊祭が営まれた
- 昭和20年代(戦後) — GHQ接収下の区画整理工事中にブルドーザーの横転死亡事故が起き、地元の陳情により整地は中止されたと保存会は記す
- 1960年(昭和35) — 史蹟将門塚保存会が正式結成される
- 1971年(昭和46) — 東京都旧跡に指定される
- 現代 — 大手町の再開発と共存しながら維持され、ビル街の谷間で参拝が絶えない
編集部の調査メモ
このページを作るにあたって、編集部が何を確認したか、このページでどう扱ったかを記録しています。
資料で確認できたこと
- 将門塚保存会の公式サイトで、由来として伝わる話、保存会の結成(昭和35年)、東京都の旧跡指定(昭和46年4月1日)、一般社団法人化(令和5年11月)を確認した。第6次の改修が2021年に完了したことも同サイトに記載がある。
- 保存会の資料は、戦後の整地中にブルドーザーの横転事故が起き、その後、地元の陳情で塚が残された経緯を記している。
そのため、このページではこうしています
- 大正期の大蔵省仮庁舎にまつわる逸話は、伝えられている話であり、確認された事実ではない。
- 現在も供養と参拝が続く場所である。
現地確認: 未実施
❓まだ分かっていないこと
この場所には、資料ではまだ確認できていない事柄がある。
- この事故と塚との因果関係を示す史料は確認できていない。保存会に伝わる話であることを示す出典はあるが、超自然的な因果を裏づける資料はない。
参考・出典
- 平将門公|将門塚保存会
一般社団法人 史蹟将門塚保存会(公式) - 将門塚(スポット紹介)
千代田区観光協会(公式) - 将門塚 - Wikipedia
Wikipedia(補助資料)
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