「両国」の地名由来(両国橋)|何があった場所か
明暦の大火(1657年)を機に隅田川へ架けられた橋が、西の武蔵国と東の下総国の両国にまたがることから両国橋と呼ばれ、東岸の町名「両国」の由来になったとされる。

時のながれ
- 明暦3年(1657) — 明暦の大火。橋がなく逃げ場を失った多くの江戸市民が犠牲となり、幕府が防災目的の架橋を決断したとされる。
- 万治元年〜寛文元年(1658-61) — 隅田川に橋が架けられる(架橋年は諸説)。武蔵国と下総国にまたがることから両国橋と呼ばれ、東岸一帯が「両国」と呼ばれるように。
- 昭和7年(1932) — 現在の両国橋が完成。
編集部の調査メモ
このページを作るにあたって、編集部が何を確認したか、このページでどう扱ったかを記録しています。
資料で確認できたこと
- 「武蔵国と下総国に架かる橋として名づけられた」という由来は、墨田区の公式企画展のページで確認した。
そのため、このページではこうしています
- ピンは現在の両国橋(昭和7年完成)である。
現地確認: 未実施
❓まだ分かっていないこと
この場所には、資料ではまだ確認できていない事柄がある。
- 架橋の年には諸説がある。墨田区の公式(郷土文化資料館の展示解説)は万治元年(1658年)とし、別の資料は万治2年(1659年)説と寛文元年(1661年)説を併記している。架橋の決定・完成といった別の節目を指している可能性がある。
参考・出典
- 両国の賑わい(郷土文化資料館 平成11年度展示)
墨田区 - 企画展「今と昔の橋物語 隅田川に架かる橋」
墨田区 - 両国橋 - Wikipedia
Wikipedia(補助)
近くの痕跡
- 回向院(両国・万人塚に始まる寺)(死の痕跡・約293m)
- 浅草御蔵跡(「蔵前」の地名由来)(地の痕跡・約803m)
- 「鳥越」の地名由来と鳥越の丘(地の痕跡・約886m)
- 旧陸軍被服廠跡(横網町公園・東京都慰霊堂)(死の痕跡・約905m)