旧小河内村の水没集落(小河内ダム・奥多摩湖底)|何があった場所か
首都の水がめのために945世帯・約6,000人が移転した、水没集落として国内最大級の事例。小河内ダム(1957年完成)の建設によるもので、旧小河内村の中心部は奥多摩湖の底にある。湖畔の東京都水道局の展示施設「奥多摩 水と緑のふれあい館」が、湖底に沈んだ村の歴史を伝える。

時のながれ
- 1932年(昭和7) — 東京市の水源としてダム建設計画が決定し、集落の移転交渉が始まったとされる
- 1936年(昭和11) — 小河内ダム着工(戦争により一時中断)
- 〜1950年代 — 旧小河内村を中心に945世帯・約6,000人が移転する
- 1957年(昭和32)11月 — 小河内ダムが完成し、旧集落一帯は奥多摩湖(小河内貯水池)の湖底に
編集部の調査メモ
このページを作るにあたって、編集部が何を確認したか、このページでどう扱ったかを記録しています。
資料で確認できたこと
- 移転945世帯は、東京都水道局の公式とダム便覧の双方で確認した。大半が旧小河内村で、一部は山梨県の丹波山村・小菅村にあたる。
- 工事中に87名が亡くなっており、ダム展望塔の付近に慰霊碑がある。
そのため、このページではこうしています
- ピンは旧小河内村の中心部付近にあたる湖面上の推定地点である。湖畔の半島には、移転先の小河内神社が現存する。
現地確認: 未実施
参考・出典
- 小河内貯水池(奥多摩湖)|東京水道名所
東京都水道局(公式) - 小河内ダム - ダム便覧
一般財団法人日本ダム協会
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