四日市空襲の中心被災地と殉難碑(鵜の森公園)|何があった場所か
1945年6月18日未明、B-29による焼夷弾空襲で四日市の市街地は一夜で焼け野原となった。空襲は8月8日まで計9回に及び、死者800余名・被災者約4万9千人を出したと記録される。鵜の森公園に四日市空襲殉難碑が建ち、毎年6月18日に慰霊献花式が営まれている。

時のながれ
- 昭和20年(1945)6月18日未明 — B-29による焼夷弾空襲で市街地が炎に包まれた。三重県の平和啓発資料は、この日の被害を死者736人・負傷者約1,500人・行方不明63人とする(死者505人とする県の歴史解説もある)。
- 昭和20年(1945)6月18日〜8月8日 — 海軍第二燃料廠をはじめとする工場群を目標に空襲は計9回に及び、市全体で死者800余名・被災者49,198人を出した(四日市市資料)。
- 昭和55年(1980)6月 — 犠牲者を悼み悲劇を後世に伝えるため、鵜の森公園に四日市空襲殉難碑が建立された。
- 現代 — 毎年6月18日に殉難碑前で四日市空襲犠牲者慰霊献花式が営まれ、記憶の継承が続けられている。
編集部の調査メモ
このページを作るにあたって、編集部が何を確認したか、このページでどう扱ったかを記録しています。
資料で確認できたこと
- 四日市市の慰霊献花式の資料では、空襲は計9回、死者800余名、被災者49,198人とされ、殉難碑の所在地は鵜の森公園と確認できる。総務省の戦災状況のページとも整合している。
そのため、このページではこうしています
- 慰霊碑は現役の追悼の場である。
現地確認: 未実施
❓まだ分かっていないこと
この場所には、資料ではまだ確認できていない事柄がある。
- B-29が89機、投下量567.3トン、市域の35%が焼失したという数値は、直接の典拠を確認できていない。
- 6月18日単独の死者数は、三重県の平和啓発資料が736人、県の歴史解説が505人と、県の資料の間でも異なる。集計の定義が同じか確認できていない。
- 被災者の数も、市の慰霊献花式資料が49,198人、市の沿革資料が49,498人と一致しない。表記の揺れか集計差かは確認できていない。
参考・出典
- 令和06年05月28日 記者発表資料 四日市空襲犠牲者慰霊献花式について
四日市市役所 - 四日市市における戦災の状況(三重県)
総務省 - 四日市空襲殉難碑(一般戦災死没者の追悼)
総務省 - 四日市空襲
Wikipedia(補助資料) - 戦争の記憶を伝える(北勢地域の戦災)
三重県(公式) - 県史あれこれ 四日市空襲
三重県(県史) - 四日市市 総務部資料
四日市市(公式)
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近くの痕跡
- 「四日市」の地名由来(四のつく日の定期市)(地の痕跡・約1.2km)
- 東海道名残りの一本松(日永の縄手跡)(地の痕跡・約2.8km)
- 日永の要塞砲(南日永こども広場・通称「大砲公園」)(戦の痕跡・約3.1km)
- 日永の追分(東海道と伊勢街道の分岐・県史跡)(地の痕跡・約3.6km)