田子倉集落の水没地(田子倉ダム・田子倉湖底)|何があった場所か
昭和35年(1960)に完成した田子倉ダムの建設に伴い、50戸290人が暮らした田子倉集落は移転し、旧居住域は田子倉湖の水面下にある。地上の集落としては残っていない一方、田子倉ダム・田子倉湖の周辺は国道252号の開通期に見学できる。只見町の「ふるさと館田子倉」が、集落の歴史と文化を伝えている。

時のながれ
- 昭和23年(1948) — 田子倉ダム建設の説明会が行われる。50戸290人の田子倉集落は以後、移転補償の交渉に入る。
- 昭和31年(1956) — 足掛け8年の交渉を経て全戸の移転補償が妥結。住民は只見町内や県内外へ移転した(ダム建設に伴う移転)。
- 昭和35年(1960) — 田子倉ダムが竣工。集落跡は田子倉湖の湖底となった。
- 現代 — 只見町中心部の「ふるさと館田子倉」が、集落の自然環境・生活文化・ダム建設の経緯を後世に伝えている。田子倉湖は越後三山只見国定公園に含まれる。
編集部の調査メモ
このページを作るにあたって、編集部が何を確認したか、このページでどう扱ったかを記録しています。
資料で確認できたこと
- 戸数と人口(50戸290人)、補償交渉の経緯(1948年の説明会から1956年の全戸妥結まで足掛け8年)を確認した。
- 只見町の統計要覧は、田子倉集落の水没と、別集落である寄岩・塩沢・十島の一部移転を分けて記す。
- 国立歴史民俗博物館の研究報告は、田子倉ダム建設で田子倉集落が水没し、昭和31年に移転したと記す。
- 只見町インフォメーションセンターは田子倉ダム・田子倉湖を見学地点として案内し、駐車場と国道252号の冬期通行止めを掲載している。
- 只見町ブナセンターは、ふるさと館田子倉を町が取得・整備し、田子倉集落の歴史と文化を伝える資料館として公開していると記す。
そのため、このページではこうしています
- 旧居住域、田子倉ダム・田子倉湖周辺、只見町内の記憶施設を別の場所として記す。
- ピンは田子倉湖のほぼ中央で、旧集落の正確な中心は湖底にあるため推定である。国道252号は冬期通行止めとなるため、通年見学可能とは書かない。
現地確認: 未実施
❓まだ分かっていないこと
この場所には、資料ではまだ確認できていない事柄がある。
- 旧集落中心の正確な座標は確認できていない。
- 確認した公的・学術資料の範囲では、旧田子倉集落の内部に門入のような非水没の居住地区は確認できなかった。
参考・出典
- 田子倉ダム
Wikipedia(『日本の多目的ダム』『電発30年史』等の脚注付き) - ふるさと館田子倉|田子倉集落の記憶を伝える資料館
ぐるっと会津(会津地域情報ポータル) - 田子倉ダム・田子倉湖
只見町インフォメーションセンター - 平成26年度 統計要覧
只見町 - 施設紹介|旧田子倉集落民俗資料館 ふるさと館田子倉
只見町ブナセンター - 昭和30年代初めのダム建設と集落移転
国立歴史民俗博物館学術情報リポジトリ
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