中川船番所跡(小名木川の東端にあった川の関所)|何があった場所か
関所は山道だけではなく水の上にもあった。小名木川が旧中川に注ぐ東端に、江戸幕府が船を一艘ずつ改めた「中川番所」が置かれたとされる。夜間の通航は原則禁止で、川が江戸の出入口として厳重に監視されていたと伝わる。

時のながれ
- 江戸前期 — 深川・万年橋付近に船改めの番所が置かれ「深川船改め番所」と呼ばれたと伝わる。
- 寛文元年(1661) — 小名木川が中川(現・旧中川)に達する東端へ番所が移され、「中川番所」として江戸に出入りする人と物資を査検したとされる。規模は東西約47m、南北約31mと伝わる。
- 幕末(1861頃) — 夜間通航が全面禁止となり、江戸川筋からの野菜運搬に困った村々の嘆願により、約1年半後に夜間の搬送が認められたと伝わる。
- 明治2年(1869) — 全国の関所廃止の流れの中で、約200年続いた中川番所も正式に廃止されたとされる。
- 現在 — 跡地の北側に江東区の中川船番所資料館が建ち、番所跡は江東区指定史跡となっている。
編集部の調査メモ
このページを作るにあたって、編集部が何を確認したか、このページでどう扱ったかを記録しています。
資料で確認できたこと
- 江東区の公式文化財ページで、区指定史跡であること、所在地、寛文元年(1661年)6月6日に小名木川の中川口北岸へ設置されたこと、規模(東西約47m×南北約31m)、明治2年(1869年)4月の正式な廃止を確認した。
- 江戸川区郷土資料室の解説で、もとは深川・万年橋付近の「深川船改め番所」で、寛文元年に移転した経緯と、幕末に夜間通行が禁じられたのち、野菜の運搬についての嘆願で夜間の搬送が緩和された逸話を確認した。
そのため、このページではこうしています
- 資料館は番所跡の北側に建っており、跡地そのものではない。
現地確認: 未実施
❓まだ分かっていないこと
この場所には、資料ではまだ確認できていない事柄がある。
- 移転の理由を明暦の大火とする説は、確認した資料からは裏づけられない。
参考・出典
- 中川船番所跡(区指定史跡)
江東区 - 館の概要 | 中川船番所資料館
公益財団法人 江東区文化コミュニティ財団 - 解説シート No.3-8 中川番所
江戸川区郷土資料室
近くの痕跡
- 旧中川(荒川放水路開削で残った中川旧流路)(水の痕跡・約45m)
- 「砂町」の地名由来(海を拓いた砂村新田)(地の痕跡・約1.6km)
- 仙台堀川の埋立区間(仙台堀川公園)(水の痕跡・約2.1km)
- 東京大空襲・戦災資料センター(戦の痕跡・約2.3km)