石浜城跡(武蔵千葉氏の拠点・石浜神社付近)|何があった場所か
隅田川西岸の石浜神社付近は、太田道灌が支援した武蔵千葉氏の居城・石浜城の比定地とされる。1352年には足利尊氏がこの地で新田義興の追撃を退けたと伝わるが、遺構は見つかっておらず、正確な位置には諸説がある。

時のながれ
- 奈良時代(724年) — 神亀元年、勅願により石浜神社が鎮座したと伝わる(神社公式由緒)。
- 南北朝時代(1352年) — 武蔵野合戦の際、足利尊氏が石浜の地で新田義興の追撃を退けたとされ、石浜城の存在を示す早い記録と考えられている。
- 室町時代(15世紀半ば) — 享徳の乱で下総を追われた千葉実胤が扇谷上杉氏の庇護下で石浜城を拠点としたとされ、太田道灌が支援した武蔵千葉氏の居城と伝わる。
- 戦国時代(天文年間) — 石浜城主・千葉守胤が石浜神社境内に真先稲荷の宮柱を建てたと伝わる(荒川区立図書館資料)。
- 安土桃山時代(1590年) — 小田原征伐による後北条氏の没落に伴い、石浜城は廃城になったとされる。
編集部の調査メモ
このページを作るにあたって、編集部が何を確認したか、このページでどう扱ったかを記録しています。
資料で確認できたこと
- 荒川区の公式サイトに「太田道灌が支援した武蔵千葉氏の居城・石浜城跡(南千住)」と明記されていることを確認した。区の施設案内で「石浜城址公園」(南千住三丁目・平成29年整備)の実在も確認している。区立図書館のコンテンツには、天文年間に石浜城主・千葉守胤が石浜神社境内の真先稲荷の宮柱を建てたという記述がある。
- 遺構は見つかっていない。
そのため、このページではこうしています
- ピンは候補地の一方(石浜神社付近)の代表点で、城の位置が確定しているわけではない。
現地確認: 未実施
❓まだ分かっていないこと
この場所には、資料ではまだ確認できていない事柄がある。
- 城があった場所には説が分かれる。石浜神社の付近とする説と、台東区浅草の待乳山聖天の付近とする説がある。
参考・出典
- 太田道灌/荒川区公式サイト
荒川区 - 石浜城址公園(南千住三丁目公園)/荒川区公式サイト
荒川区 - 荒川区で最も歴史ある神社「石浜神社」
荒川区立図書館 - ご由緒|石浜神社
石浜神社 - 石浜城
Wikipedia(補助資料) - 石浜城の所在地について(レファレンス事例)
国立国会図書館 レファレンス協同データベース
近くの痕跡
- 小塚原回向院(刑死者供養の寺・観臓記念碑)(死の痕跡・約1.0km)
- 小塚原刑場跡(延命寺・首切地蔵)(死の痕跡・約1.1km)
- 山谷堀跡(山谷堀公園)(水の痕跡・約1.4km)
- 浄閑寺(新吉原総霊塔・「投込寺」と呼ばれた寺)(死の痕跡・約1.4km)