小塚原刑場跡(延命寺・首切地蔵)|何があった場所か
江戸時代、品川の鈴ヶ森と並ぶ刑場が置かれた地。1741年建立の首切地蔵(荒川区指定文化財)が延命寺に現存し、刑死者の菩提を弔い続けている。供養のために開かれた小塚原回向院は線路を挟んだ北側にある(別項参照)。

時のながれ
- 江戸時代 — 品川の鈴ヶ森刑場と並ぶ江戸の刑場として、明治時代初めに廃止されるまで磔・斬首などが執行された。1771年には杉田玄白・前野良沢らが刑死者の腑分けに立ち会い、『解体新書』翻訳の契機となったと伝わる。
- 1741年(寛保元年) — 刑死者の菩提を弔うため、高さ4メートル近い首切地蔵が建立された(現・延命寺境内、荒川区指定文化財)。
- 明治時代以降 — 刑場は明治初期に廃止。常磐線の敷設で敷地が分かれ、南側が延命寺(首切地蔵)、北側が回向院として現在に至る。
- 昭和57年(1982) — 延命寺が回向院から分院として独立した。
編集部の調査メモ
このページを作るにあたって、編集部が何を確認したか、このページでどう扱ったかを記録しています。
資料で確認できたこと
- 首切地蔵が荒川区の指定文化財であることは、荒川区の公式で確認した。
- 延命寺が回向院から分院として独立したのは昭和57年(1982年)で、荒川区のアーカイブ記事で確認できる。
そのため、このページではこうしています
- 延命寺と小塚原回向院は線路を挟んだ別の地点にある寺院で、ピンは延命寺の位置である(座標は概略)。
- 現役の寺院であり供養の場である。公開の範囲に従い、堂内・墓所へ無断で立ち入らないこと。
現地確認: 未実施
❓まだ分かっていないこと
この場所には、資料ではまだ確認できていない事柄がある。
- 刑場が設けられた年(慶安年間頃とする資料がある)と刑死者の数は、荒川区の公式ページでは確認できない。
参考・出典
- 延命寺(えんめいじ)
荒川区公式サイト - 延命寺・小塚原刑場跡「首切地蔵」
荒川区観光公式サイト - 南千住再発見 延命寺
荒川区(アーカイブ)
この痕跡を掘り下げた記事
近くの痕跡
- 浄閑寺(新吉原総霊塔・「投込寺」と呼ばれた寺)(死の痕跡・約373m)
- 小塚原回向院(刑死者供養の寺・観臓記念碑)(死の痕跡・約385m)
- 千束池(姫ヶ池)跡と「千束」の地名(水の痕跡・約1.0km)
- 石浜城跡(武蔵千葉氏の拠点・石浜神社付近)(戦の痕跡・約1.1km)