駒形堂(浅草観音示現の地と「駒形」の地名由来)|何があった場所か
推古天皇36年(628年)、隅田川で網にかかった観音像が上陸したと伝わる浅草寺発祥の霊地。堂に馬頭観音を祀ることが「駒形」の地名由来とされ、周辺の川筋は魚介殺生禁断の聖域だったと伝わる。

近くの痕跡
- 「浅草」の地名由来(地の痕跡・約499m)
- 言問橋と東京大空襲(戦の痕跡・約786m)
- 浅草御蔵跡(「蔵前」の地名由来)(地の痕跡・約965m)
- 「業平」の地名と在原業平の東下り伝承(業平橋)(地の痕跡・約1.0km)
時のながれ
- 飛鳥時代・推古天皇36年(628) — 檜前浜成・竹成兄弟が宮戸川(現・隅田川)の漁で観音像を網に得たと伝わる。像はこの地に上陸し草堂に祀られたとされ、浅草寺発祥の霊地とされる。
- 平安時代・天慶5年(942) — 平公雅により駒形堂が建立されたと伝わる。
- 江戸時代・元禄6年(1693) — 本尊示現の霊地として、隅田川の南は諏訪町から北は聖天町までの漁を禁じた戒殺碑が建立される(現在は都指定文化財)。
- 江戸時代 — 堂前に船着場があり、上陸した人々はまず駒形堂の馬頭観音を拝んでから浅草寺へ参詣したと伝わる。
- 平成15年(2003) — 現在の堂宇が再建される。毎月19日に法要、4月19日に大祭。
編集部の調査メモ
資料で確認できたこと
- 浅草寺の公式で、628年に聖観世音菩薩が宮戸川(隅田川)に示現しこの地に上陸したと伝わる浅草寺発祥の地であること、本尊が馬頭観世音菩薩であること、江戸期は堂の前が船着場だったこと、戒殺碑が元禄6年(1693年)の建立で東京都の指定文化財であること、現在の堂が2003年の建立であることを確認した。
- 浅草寺の公式で、駒形堂の名の由来を、馬頭観音を祀り馬形の作り物を奉納したことによるのではないかとする推考と、戒殺碑が隅田川の南は諏訪町から北は聖天町までの漁を禁じたことを確認した。
そのため、このページではこうしています
- 位置は駒形橋の西詰で確定している。資料によって浅草二丁目・雷門二丁目と表記が分かれるのは、寺の代表住所と堂の所在地を比べているためとみられる。
現地確認: 未実施
❓まだ分かっていないこと
- 地名の由来には、馬形を奉納したとする説など複数の説がある。寺側の推考を含むもので、どれか一つに定まっていない。
参考・出典
2件出典に基づいて掲載している
- 駒形堂 - 浅草寺
浅草寺(公式) - 浅草寺について(縁起)
浅草寺(公式)
訂正履歴
- :出典にしていた台東区の公式観光サイトが閲覧できなくなったため出典から外し、戒殺碑が漁を禁じた範囲を、浅草寺の公式どおり「隅田川の南は諏訪町から北は聖天町まで」に改めた(「堂周辺十町余り」は確かめ直せていない)。
この場所について
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