深江(笠縫の里)と深江稲荷神社|何があった場所か
かつて河内湖に浮かぶ菅の茂る島だったと伝わる深江。垂仁天皇の御代に大和の笠縫の一族が移り住み菅笠を作ったとされ、深江稲荷神社境内は摂津笠縫邑跡として府史跡になっている。菅細工は今も伊勢神宮式年遷宮に納められている。

時のながれ
- 約2000〜3000年前 — 上町台地の東側は大きな入り江(河内湾→河内湖)で、深江は良質の菅草が自生する島(笠縫島)だったと伝わる。
- 垂仁天皇の御代(伝承) — 大和国笠縫邑から笠を縫う一族が移住し、代々菅笠を作ったことから笠縫島と呼ばれるようになったと伝わる。万葉集にも『笠縫の島』が詠まれている。
- 和銅年間(8世紀前期) — 深江稲荷神社が創建されたと伝わる(笠縫氏の祖が下照姫命を祀ったのが最初とする伝承もある)。
- 江戸時代 — 深江の菅笠が名産となり、伊勢参りの人々が道中笠として買い求めて賑わったとされる。
- 平成11年(1999) — 深江の菅細工が大阪市指定文化財の第1号に指定された。
- 平成19年(2007)〜現在 — 深江菅田保存会が結成され菅田を復興。伊勢神宮式年遷宮の菅笠等は現在も深江から調進されていると伝わる。
編集部の調査メモ
このページを作るにあたって、編集部が何を確認したか、このページでどう扱ったかを記録しています。
資料で確認できたこと
- 菅細工が平成11年に大阪市の指定文化財となり、平成28年に大阪府知事指定の伝統工芸品となったことを確認した。菅田は平成19年に結成された保存会によって復興している。
そのため、このページではこうしています
- 深江稲荷神社の由緒には、垂仁天皇の御代に笠縫氏の祖が下照姫命を祀ったのを起源とする伝承と、和銅年間(8世紀前期)の創建とする伝承がある。起源の伝承と社の創建という別の段階を指す可能性があり、矛盾する二説としては扱えない。
現地確認: 未実施
❓まだ分かっていないこと
この場所には、資料ではまだ確認できていない事柄がある。
- 地名「深江」の語源を「深い入り江に由来する」と明示した一次資料には到達していない。区役所や郷土資料館が記しているのは地形的な背景(2〜3000年前は上町台地の東が大きな入り江であり、深江は良質の菅草が自生する島だった)までである。
参考・出典
- 深江の菅笠(ふかえのすげがさ)
大阪市東成区役所 - 深江稲荷神社(ふかえいなりじんじゃ)
大阪市東成区役所 - 摂津笠縫邑跡 大阪府史跡・深江菅笠ゆかりの地
大阪市 - ひがしなり今昔マップ
大阪市東成区役所 - 深江の菅細工(大阪府知事指定伝統工芸品)
大阪府 - 深江の地域について
大阪深江郷土資料館 - 深江の菅細工(大阪市指定文化財)
大阪市(公式)
🗺 この地点を明治の地図で見る(今昔マップ on the web)
近くの痕跡
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