鴫野古戦場跡(大坂冬の陣・鴫野の戦い)|何があった場所か
大坂冬の陣(1614年)で最大の激戦地の一つとされる鴫野・今福の戦いの跡。旧大和川の堤防上で徳川方の上杉景勝・佐竹義宣勢と、木村重成・後藤基次ら大坂方が数日にわたり戦ったと伝わる。城東小学校の校庭東側に古戦場碑が立つ。

時のながれ
- 慶長19年(1614)11月26日 — 未明、旧大和川堤防を守る大坂方を、徳川方の佐竹義宣・上杉景勝ら約6,500の軍勢が攻撃したと伝わる(鴫野・今福の戦い)
- 〜11月29日 — 銃撃戦と堤防上の遭遇戦が一進一退を繰り返す。大坂方では木村重成が初陣し、後藤基次(又兵衛)とともに奮戦したと伝わる
- 現代 — 城東小学校の校庭東側に鴫野古戦場碑が立ち、大坂冬の陣400年記念碑も設けられている
編集部の調査メモ
このページを作るにあたって、編集部が何を確認したか、このページでどう扱ったかを記録しています。
資料で確認できたこと
- 大阪市城東区の公式ページと、大阪市建設局の顕彰碑のページで、内容が一致することを確認した。碑は城東区鴫野東三丁目(城東小学校の校庭東側)にあり、道路に面していて敷地の外から見ることができる。
- 一帯は旧大和川の支流が分流する深田の湿地帯で、堤防の上だけが戦場になったと区の公式が記している。
そのため、このページではこうしています
- 座標は鴫野東三丁目16番の代表点である。
現地確認: 未実施
参考・出典
- 鴫野古戦場碑 - 名所・旧跡
大阪市城東区(公式) - 60. 鴫野古戦場跡(顕彰碑)
大阪市建設局(公式)
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このスポットが登場するテーマ
- 大坂の陣を歩く — 真田丸から幸村終焉の地まで① 冬の陣・鴫野の戦い(1614)
近くの痕跡
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