旧徳山村(徳山ダム湖底・徳山湖)|何があった場所か
一つの自治体そのものが消えた場所。徳山ダムの建設で旧徳山村の8地区466世帯が移転対象となり、1987年4月、村は藤橋村へ編入されて地図から消えた。門入を除く7集落部の可住区域は、日本最大の総貯水容量を持つ徳山湖の湖底にある。門入は水没を免れたが、交通手段が遮断され、住民は移転した。

時のながれ
- 明治22年(1889) — 町村制施行により揖斐郡徳山村が成立。村役場は本郷(徳山)地区に置かれた。
- 昭和32年(1957)〜 — 徳山ダム計画が浮上。長い調査・交渉を経て、水没する集落の村民は揖斐川町・本巣町など4町5地区への集団移転を進めた(移転契約466世帯)。
- 昭和62年(1987)4月 — 徳山村は藤橋村に編入され、自治体として姿を消した。466世帯との移転契約は1989年3月までに完了している。
- 平成20年(2008)5月 — 徳山ダムが試験湛水を終えて運用を開始し、門入を除く7集落部の可住区域が徳山湖の湖底に沈んだ。門入は水没を免れたが、交通手段が遮断され、住民は移転した。総貯水容量約6.6億立方メートルは日本最大とされる。
- 現代 — 湖畔に旧村民が故郷に集える場として徳山会館が整備され、旧徳山村に関する展示が行われている。各集落付近の高台には望郷広場・集落の略史を記した石碑が設けられている。
編集部の調査メモ
このページを作るにあたって、編集部が何を確認したか、このページでどう扱ったかを記録しています。
資料で確認できたこと
- 水資源機構の資料で、466世帯との移転契約が1989年3月までに完了していることを確認した。村が藤橋村へ編入されたのは1987年4月である。
- 同機構はダムの完成年を2008年とし、2008年5月5日を試験湛水の終了・運用開始の日としている。
- 旧徳山村は8集落からなり、門入を除く7集落部の可住区域が水没した。門入は水没を免れたが、交通手段が遮断され、住民は移転した。
そのため、このページではこうしています
- 466世帯は移転の対象となり契約した世帯数であり、全世帯が同じ集団移転地へ移ったことを意味しない。
- 門入は地理的には水没を免れた一方、生活交通を失った。非水没とアクセス困難を別の事実として記す。
- ダム便覧の竣工年2007年と、試験湛水終了・運用開始の2008年5月は、別の工程上の節目である。完成年の食い違いではない。
- ピンは旧村役場(本郷地区)の座標で、現在は湖面上にあたる推定地点である。
現地確認: 未実施
参考・出典
- 徳山村 (岐阜県) - Wikipedia
Wikipedia - 徳山ダム - ダム便覧
一般財団法人日本ダム協会 - 徳山会館(観光サイト)
揖斐川町(公式) - 徳山ダム(ダムカード・施設概要)
独立行政法人 水資源機構(公式) - 徳山ダム建設事業における土地取得等の特徴
独立行政法人 水資源機構(公式)
この痕跡を掘り下げた記事
近くの痕跡
- 旧荘川村の水没集落(御母衣ダム湖底・荘川桜)(水の痕跡・約59.9km)
- 四間道(しけみち・元禄の大火のあと四間に広げたと伝わる道)(地の痕跡・約69.1km)
- 笹島(ささしま)(地の痕跡・約69.5km)
- 龍泉寺(名古屋城の鬼門を鎮護すると伝わる尾張四観音のひとつ)(方位の痕跡・約69.7km)