旧荘川村の水没集落(御母衣ダム湖底・荘川桜)|何があった場所か

七年の交渉と、湖畔へ移された二本の古桜。御母衣ダム(1961年完成)の建設で、旧荘川村の中野・海上・岩瀬・赤谷などの集落が水没した。水没地にあった樹齢450年余のエドヒガン2本は湖畔へ移植され、「荘川桜」として今も咲く。

時のながれ
- 1952年 — 御母衣ダム建設計画が公表され、住民による反対運動が始まったとされる
- 1959年 — 補償交渉が妥結し、集落の移転が進む
- 1960年12月 — 水没予定地の光輪寺・照蓮寺にあった桜2本が湖畔へ移植される(荘川桜)
- 1961年 — 御母衣ダムが完成し、旧集落一帯は御母衣湖の湖底に
- 2026年8月 — 記録的な少雨で御母衣湖の水位が下がり、水没前の集落跡とみられる構造物が湖底から現れたと報じられる。庄川水系では8月6日の渇水情報連絡会を経て2割の取水調整が行われた
編集部の調査メモ
このページを作るにあたって、編集部が何を確認したか、このページでどう扱ったかを記録しています。
資料で確認できたこと
- 移転は7年にわたる反対運動を経て、1959年に補償が妥結した。水没地にあった2本の古桜は1960年12月に湖畔へ移された。
そのため、このページではこうしています
- 水没した戸数について、高山地域の資料は旧荘川村側を230戸余り・約1,200人とし、事業者側の資料は白川村側を含む文脈で240戸と記す。対象の範囲と数え方が同じか確認できず、同じものを数えた値とは言えない。
- ピンは公開されている荘川桜の園地で、水没した集落の位置そのものではない。移植された桜を通して旧集落の記憶を伝える場所である。
現地確認: 未実施
参考・出典
- 荘川桜物語
J-POWER 電源開発株式会社(公式) - 御母衣ダム - ダム便覧
一般財団法人日本ダム協会 - 荘川桜 - Wikipedia
Wikipedia - 県指定・荘川桜、御母衣ダム
飛騨高山匠の技デジタルアーカイブ - 記者発表資料 庄川渇水情報連絡会を開催しました(令和8年8月7日・PDF)
国土交通省 北陸地方整備局 富山河川国道事務所 - 水没した土地が露出…"渇水の現場"岐阜・御母衣ダム(2026年8月10日)
チューリップテレビ
この痕跡を掘り下げた記事
- 雛見沢のモデルはどこか — 御母衣ダムと白川郷で確かめられたこと
- 御母衣ダムに沈んだ荘川村の集落 — 湖畔へ移された荘川桜の記録
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近くの痕跡
- 旧徳山村(徳山ダム湖底・徳山湖)(水の痕跡・約59.8km)
- 龍泉寺(名古屋城の鬼門を鎮護すると伝わる尾張四観音のひとつ)(方位の痕跡・約95.3km)
- 四間道(しけみち・元禄の大火のあと四間に広げたと伝わる道)(地の痕跡・約100.8km)
- 堀川(名古屋城築城とともに開削された運河)(水の痕跡・約101.5km)