堀川(平安京造営時の運河・涸れ川からの再生)|何があった場所か
平安京造営時に運河として開削されたと伝わり、約1200年にわたり北山の木材運搬や友禅染に使われた川。昭和20〜30年代の浸水対策で水源が断たれ「涸れ川」となったが、平成21年(2009)の水辺環境整備でせせらぎが再生された。

時のながれ
- 平安時代(794年頃〜) — 平安京造営時に、古くからの自然河川を改修して堀川小路に沿う運河として開削されたと伝わる。北山連峰の木材運搬に使われ、貴族の邸内庭園にも清流が引かれた。
- 近世 — 農業用水や友禅染などの伝統産業に活用され、水運は明治期まで続いた。
- 昭和20〜30年代 — 度重なる浸水被害への対策事業により水源が断たれ、普段は水のないコンクリート底張りの「涸れ川」となった(雨天時の下水放流路として機能)。
- 平成21年(2009) — 市民の要望を受けた堀川水辺環境整備事業(平成9〜20年度・約18億円)が完了し、3月29日にせせらぎのある親水空間として再生された。
編集部の調査メモ
このページを作るにあたって、編集部が何を確認したか、このページでどう扱ったかを記録しています。
資料で確認できたこと
- 京都市建設局の公式で、平安京造営時の運河であること(約1200年の歴史)、北山からの木材運搬や友禅染などへの利用、昭和20年代から30年代の浸水対策事業によって水源が絶たれコンクリートで底を張った水路になったこと、平成9年度から20年度の整備(事業費およそ18億円)、平成21年3月29日の完了を確認した。
そのため、このページではこうしています
- 川筋は線状に伸びているため、座標は堀川第一橋(中立売通)付近の代表点である。
現地確認: 未実施
参考・出典
- 堀川水辺環境整備事業
京都市建設局 - 堀川 (京都府)
Wikipedia(補助資料)
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近くの痕跡
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- 西陣(応仁の乱の西軍の陣に由来するとされる織物の町の通称)(地の痕跡・約723m)
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