船岡山(平安京の北の基点と伝わる玄武の小山)|何があった場所か
朱雀大路(現在の千本通)の真北に位置し、平安京造営の基準点になったとする説が伝わる標高約112mの小山。四神相応では北の玄武にあてる説が知られる(諸説あり)。応仁の乱では西軍の陣が置かれ、山全体が国の史跡に指定されている。

時のながれ
- 延暦13年(794) — 平安京遷都。船岡山は朱雀大路の真北にあたり、造営の南北軸の基準点になったとする説が伝わる。四神相応の玄武にあてる説も知られる(諸説あり)。
- 応仁元年(1467) — 応仁の乱で西軍の武将らが山上に船岡山城を築いて立て籠もったとされる。
- 明治2年(1869) — 明治天皇の御下命により、織田信長を祀る建勲神社が創建される。
- 昭和43年(1968) — 船岡山が国の史跡に指定される。現在は公園として市民に親しまれている。
編集部の調査メモ
このページを作るにあたって、編集部が何を確認したか、このページでどう扱ったかを記録しています。
資料で確認できたこと
- 史跡の指定(昭和43年)、応仁の乱の際に築かれた船岡山城、建勲神社の創建を確認した。
そのため、このページではこうしています
- 船岡山は現在、公園と建勲神社の境内として公開されている。
現地確認: 未実施
❓まだ分かっていないこと
この場所には、資料ではまだ確認できていない事柄がある。
- 平安京造営の基準点とする説は、参照した資料自身が「推論である」と明記している。玄武にあてる説も、建勲神社の公式が「〜とされる」という形で記している。
参考・出典
- 建勲神社(公式サイト)
建勲神社 - 船岡山
Wikipedia(補助資料)
🗺 この地点を明治の地図で見る(今昔マップ on the web)
近くの痕跡
- 蓮台野(平安京の葬送地・千本ゑんま堂)(死の痕跡・約825m)
- 御土居跡(豊臣秀吉が京を囲んだ総延長22.5キロの土塁)(地の痕跡・約1.2km)
- 百々橋の礎石(応仁の乱で東西両軍が争った橋の跡)(戦の痕跡・約1.4km)
- 西陣(応仁の乱の西軍の陣に由来するとされる織物の町の通称)(地の痕跡・約1.6km)