比叡山延暦寺(平安京の鬼門を守る山と伝わる)|何があった場所か
平安京の艮(うしとら=北東)にそびえる比叡山。最澄が一乗止観院を開いたのは延暦7年(788)で、平安京遷都の6年前にあたる。都の北東に位置することから、延暦寺は後世、鬼門を守る寺として広く語られてきた。

時のながれ
- 延暦7年(788) — 最澄が比叡山に一乗止観院(後の根本中堂)を創建し、薬師如来を本尊としたと伝わる(当時の都は長岡京)。
- 延暦13年(794) — 平安京遷都。都から見て比叡山が艮(北東=鬼門)の方角にあたることとなる。
- 延暦25年(806) — 年分度者2名認可の官符が発せられ、日本天台宗が公認された。
- 弘仁14年(823) — 嵯峨天皇から「延暦寺」の寺号を賜ったとされる。桓武天皇の時代の年号にちなむ。
- 平安期以降 — 都の鬼門を守る寺として語られるようになる。御所の猿ヶ辻や赤山禅院など、鬼門除けにまつわる場所が京都には複数あるが、それらを一つの体系として結ぶ資料は確認できていない。
編集部の調査メモ
このページを作るにあたって、編集部が何を確認したか、このページでどう扱ったかを記録しています。
資料で確認できたこと
- 最澄が一乗止観院を開いたのは788年で、平安京への遷都(794年)より6年早い。開山の時点で都だったのは長岡京である。
- 806年は日本天台宗が公認された年、「延暦寺」の寺号を賜ったとされるのは823年で、それぞれ別の出来事である。
そのため、このページではこうしています
- 御所の猿ヶ辻や赤山禅院など、京都には鬼門除けにまつわる場所が複数あるが、それらを比叡山と結んで一つの体系として説明できる資料は確認できていない。
- ピンは根本中堂で、所在地は滋賀県大津市である。
現地確認: 未実施
❓まだ分かっていないこと
この場所には、資料ではまだ確認できていない事柄がある。
- 鬼門を守る寺という位置づけが、いつ成立したのかは確認できていない。創建の目的とどう関係するのかも、資料によって説明が異なる。
参考・出典
- 歴史|延暦寺について
天台宗総本山 比叡山延暦寺(公式) - 延暦寺
京都市公式 京都観光Navi - 第135回 京都と鬼門(きもん)|京都ツウのススメ
京阪グループ - 比叡山と平安京
天台宗総本山 比叡山延暦寺(公式)
🗺 この地点を明治の地図で見る(今昔マップ on the web)
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