寛永寺と江戸城の鬼門封じ|何があった場所か
寛永2年(1625)、天海大僧正が江戸城の鬼門(北東)にあたる上野の台地に東叡山寛永寺を創建したと伝わる。平安京の鬼門を守るとされた比叡山延暦寺になぞらえた「東の比叡山」で、徳川将軍家の安泰を祈る寺として栄えた。

時のながれ
- 寛永2年(1625) — 天海大僧正(慈眼大師)により、江戸城の鬼門にあたる上野の台地に本坊が落成。徳川幕府の安泰と万民の平安を祈願する寺として創建される。
- 寛永年間 — 創建時の年号から「寛永寺」の勅号を与えられる。比叡山延暦寺に対する「東の比叡山」として東叡山を号した。
- 現在 — 天台宗の寺院として現存。根本中堂の本尊は薬師瑠璃光如来で、延暦寺根本中堂の本尊と同じく伝教大師最澄の作と伝えられる。
編集部の調査メモ
このページを作るにあたって、編集部が何を確認したか、このページでどう扱ったかを記録しています。
資料で確認できたこと
- 寛永寺の公式サイトが「江戸城の鬼門(東北)にあたる上野の台地に」創建と明記し、台東区の文化探訪ページも「江戸城の艮(北東)の鬼門の守として寛永2年(1625年)に本坊が落成」と記している。公式資料どうしで内容が一致している。
- 山号「東叡山」が東の比叡山を意味すること、寺号「寛永寺」が創建時の年号に由来することも、両方の資料で確認した。
そのため、このページではこうしています
- ピンは現在の根本中堂である。
現地確認: 未実施
参考・出典
- 寛永寺について
東叡山寛永寺(公式サイト) - 文化探訪「寛永寺を訪ねる」
台東区
近くの痕跡
- 新堀川跡と合羽橋(かっぱ橋の地名由来)(水の痕跡・約1.4km)
- 千束池(姫ヶ池)跡と「千束」の地名(水の痕跡・約1.5km)
- 浄閑寺(新吉原総霊塔・「投込寺」と呼ばれた寺)(死の痕跡・約2.0km)
- 「浅草」の地名由来(地の痕跡・約2.1km)