歴史の痕跡
大阪城公園に残る戦争の痕跡 — 76年間、ここは陸軍の土地だった
大阪城公園は、明治2年(1869年)から昭和20年(1945年)までの76年間、陸軍の土地だった。
鳥羽・伏見の戦いの後、城内各所から火の手が上がり、多くの建物が焼失した。翌明治2年(1869年)、大阪城は兵部省大阪出張所の管轄下に入り、昭和20年(1945年)まで陸軍用地として使われる。大阪市の『特別史跡大坂城跡保存活用計画』は、焼失と軍用地化をこの順に記している。
なぜ大阪城だったのか。国立国会図書館は、大村益次郎が大阪城の「軍事拠点としての優位性」に着目し、軍の中枢機関を集中的に配置する構想を持っていたと説明している。大阪市の計画書と重ねると、焼失後の時系列と軍事上の選定理由がそれぞれ見えてくる。
76年にわたる陸軍用地の歴史は、天守閣とは関係のない傷や建物として園内に残っている。日曜に散歩していても、たいてい素通りする場所だ。

誰が、なぜここを選んだのか
国立国会図書館は、選定を兵部大輔・大村益次郎の構想に結びつけている。大村は大阪城の「軍事拠点としての優位性」に着目し、軍の中枢機関を集中的に置こうとした。同館が紹介する明治2年11月18日の兵部省上申には、こうある。
大阪ハ所謂海陸四達ノ要地ニシテ皇国ノ中央ニ位ス四方ノ変ニ応シ易シ
大阪を、海と陸の交通が四方に通じ、国の中央にあって変事に対応しやすい要地とみる上申だった。大村はその13日前、刺客に襲われた傷がもとで亡くなっている。構想はその後、兵学寮や兵器製造施設などを大阪へ置く形で、一部が実現した。
翌明治3年、城中三の丸御蔵曲輪跡が造兵司の地と定められる。これが大阪砲兵工廠の始まりだ。名前はその後、大阪造兵司、大砲製造所、砲兵支廠、大阪砲兵工廠(明治12年)、陸軍造兵廠大阪工廠(大正12年)、そして大阪陸軍造兵廠(昭和15年)と変わった。資料によって呼び方が違うのは、このためだ。
工廠は、自分で全部作る工場ではなかった
敗戦直前の規模を、大阪市中央区はこう記す。土地590万平米、建物70万平米超、最大工員数6万人超。
昭和20年8月15日現在の人員は66,582人。内訳を大阪府の『産開研論集』から拾うと、一般工員(男子)31,028人、一般工員(女子)9,728人、女子挺身隊3,003人、学徒12,306人、一般徴用工員6,558人、半島徴用工員1,319人が含まれる。
意外だったのは、生産の内訳だ。昭和17〜20年度の兵器類生産額は、火砲でも官30%対民70%。全体では官23%対民77%だった。
つまりここは、自分ですべてを作る工場ではない。設計と管理と組み立ての中心であって、実際の製造の大半は大阪じゅうの民間工場に出ていた。戦争の痕跡がこの公園の中だけに収まっていない理由が、この数字にある。
なお「東洋一」という呼び方は、大阪市中央区も「東洋一と言われた」と伝聞のかたちで書いている。面積なのか生産量なのか従業員数なのか、根拠は確認できなかった。
8月14日、工廠は大規模な攻撃を受けた
終戦前日の空襲で、この工廠は破壊される。程度は資料で幅があり、大阪市中央区は「施設の80%以上」、国立国会図書館は「設備の90%」としている。
壊れたのは工廠だけではなかった。
城側では、京橋口多聞櫓・二番櫓・三番櫓・伏見櫓・坤櫓の5棟が焼失している。大阪市の計画書と大阪城天守閣の公式サイトが、同じ5棟を挙げている。
そして駅だ。京橋駅の慰霊碑に添えられた説明板は、こう記している。
流れ弾の一トン爆弾が四発、京橋駅に落ちた。うち一発が多数の乗客が避難していた片町線ホームに高架上の城東線(現、環状線)を、突き抜けて落ちた
工廠は主要な攻撃対象の一つだった。被害はその外側にも及んだ。京橋駅で何が起きたのかは京橋駅空襲と慰霊碑に、その日の大阪全体については大阪空襲はどこが焼けたのかにまとめている。
直された傷と、直されなかった傷が、同じ石垣に並んでいる
石垣の被害は70ヶ所に及んだ。補修は昭和29年から、国庫補助を受けて順次行われている。
ここが、この公園を歩くうえで一番おもしろい点だと思う。70ヶ所すべてが直されたわけではない。天守台の周囲を一周すると、石板で補修された箇所と、傾いたまま残っている箇所が並んでいる。
山里曲輪の石垣にも痕が残る。ピースおおさか自身が「機銃掃射によるものと思われる」という推定のかたちで案内しているので、ここでも断定はしない。
もうひとつ、桜門の枡形に石垣のゆがみがある。昭和20年に陸軍が本丸内に大規模な防空壕を掘っており、幹線は本丸内の南北園路の真下、支線がこの枡形の石垣に影響したと、渡辺武氏の研究をもとに大阪市の計画書が説明している。地下壕そのものは入れない。地上から見えるのは、このゆがみだけだ。
司令部だった建物が、いま入館無料になっている
天守閣のすぐ南に、城とは明らかに様式の違う建物が建っている。旧陸軍第四師団司令部庁舎だ。1931年(昭和6年)竣工の純軍事施設で、1940年から45年は中部軍管区司令部庁舎だった。
戦後の使われ方が、そのまま年表になる。
| 時期 | 用途 |
|---|---|
| 昭和20年9月 | 進駐軍が接収、市民の立ち入り禁止 |
| 昭和23年 | 大阪市警視庁舎 |
| 昭和30年 | 大阪府警察本部庁舎 |
| 昭和35年 | 大阪市立博物館(平成13年閉館) |
| 平成29年 | 商業施設ミライザ大阪城 |
建物への入館は無料だ。別料金がかかるのは中の個別施設だけ。軍の司令部だった場所を、いまは何も知らずに通り抜けられる。
大阪城そのものも同じ時期に接収されている。昭和20年9月29日に米軍が接収し、昭和23年8月25日に接収解除、昭和24年7月20日に公開が再開された。その間の昭和22年には紀州御殿が焼失している。
歩くこと自体は、公式が勧めている
この散歩は自己流ではない。大阪府と大阪市が出捐して設立した公益財団法人が運営するピースおおさかが、公式サイトでこう案内している。
大阪城公園一帯には戦争遺跡が点在しているため、「戦跡めぐり」を行うことが可能です
モデルコースはA(全16箇所・天満橋駅から森ノ宮駅)、B(全10箇所・谷町四丁目駅から森ノ宮駅)、Cの3系統。ミュージアムショップでは、フィールドワークマップ「大阪城周辺に残る戦争の傷あと」を1部50円で販売している。
痕跡マップでは、そのうち自由に見られる場所を中心に順路を組んだ。
- 大手門(自由)
- 桜門枡形の石垣のゆがみ(自由)
- 旧第四師団司令部庁舎=ミライザ大阪城(外観は常時、館内は各店舗の営業時間内)
- 天守台の石垣(自由・本丸広場は無料で、天守閣に入館する必要はない)
- 山里曲輪の石垣の痕(自由)
- 旧大阪砲兵工廠 化学分析場(立入不可・柵の外からの遠望のみ)
- 青屋門(自由)
- 荷揚げ門(第二寝屋川の対岸から見るだけ)
- 砲兵工廠跡碑(自由)
- ピースおおさかと中庭「刻の庭」(有料・9:30〜17:00、入館16:30まで、月曜休館。大人250円・小中学生無料)
- 鵲森宮(森之宮神社)(参拝の場だ。まずお参りを)
6番と8番は近づけない。化学分析場は2025年時点で崩落の危険があるとして立ち入りが禁じられており、管理は近畿財務局だ。荷揚げ門も、ピースおおさかの公式案内が「川の対岸から見る」としている。柵の外から見る、それだけだ。
旧真田山陸軍墓地は、この順路とは別に時間をとって訪ねる場所だと考えている。墓碑は和泉砂岩製で風化が進んでいるので、触らない・寄りかからない・物を置かない。案内は維持会が随時受け付けている(06-6211-5971/平日10時〜17時)。開門時間は公式に記載がないので、いつでも入れるとは書けない。
数字が並んでいることについて
ピースおおさかの「大阪空襲死没者名簿」は、2026年3月現在で9,171人分だ。
一方、1945年10月調べの大阪府の空襲による死者は12,620人、行方不明2,173人だった。
名簿はいまも追加登載と訂正を受け付けている。
あなたの住所の周りに、どんな痕跡が残っているか。→ 痕跡マップで痕跡濃度を測ってみる
参考・出典
- 特別史跡大坂城跡保存活用計画 第3章(PDF・大阪市)
city.osaka.lg.jp - 大阪市中央区:大阪砲兵工廠跡 (…>まち歩き>区のスポット)
city.osaka.lg.jp - 大阪市城東区:大阪砲兵工廠(おおさかほうへいこうしょう)跡の石碑 (…>区のプロフィール>名所・旧跡)
city.osaka.lg.jp - 大阪市城東区:空襲による遭難者供養の碑 (…>区のプロフィール>名所・旧跡)
city.osaka.lg.jp - 大阪市都島区:都島区 戦後70年記念事業 (…>都島区ってどんなところ?>都島区の戦前から戦後まで)
city.osaka.lg.jp - 大阪城天守閣
osakacastle.net - 周辺見学モデルコース | ピースおおさか大阪国際平和センター
peace-osaka.or.jp - 戦跡めぐり | ピースおおさか大阪国際平和センター
peace-osaka.or.jp - 開館時間・入館料など | ピースおおさか大阪国際平和センター
peace-osaka.or.jp - 大阪空襲死没者名簿 | ピースおおさか大阪国際平和センター
peace-osaka.or.jp - 大阪砲兵工廠 | 錦絵と写真でめぐる日本の名所 | 電子展示会
ndl.go.jp - 総務省|一般戦災死没者の追悼|大阪大空襲 京橋駅爆撃被災者慰霊碑 他
soumu.go.jp - 旧大阪砲兵工廠化学分析場・大阪砲兵工廠の鉄材残滓|検索詳細|地域観光資源の多言語解説文データベース
mlit.go.jp - 見学のご案内・アクセス | 公益財団法人 真田山陸軍墓地維持会
sanadayama.or.jp